ブログ
私の思い
こんにちは。
ご覧いただきありがとうございます。
私は44歳の時に音楽大学へ入学しました。
どうしてこの年齢から入学を目指したのか?ですが、
(コロナ禍での入学。大変な時期でした)
一言でいうと、
自分の人生を諦めたくなかったからです。
この答えにたどり着くまでに、
ずいぶん人生を遠回りしましたが、
お陰でいろんな経験もできました。
たくさんの感情も味わいましたし、
その人生でしか見えない景色もありました。
今振り返れば、これでよかったのだと思います。
それが私の音楽表現の一部になり、
私にしか出せない音だったり、
音楽になっているからです。
ごまかすことができない音色には、
その人の人生、生き様というんでしょうか、
音そのものが「私」であると思いました。
高校生3年生の時、
母子家庭で育った私は、家庭の事情で音大に進学ができず、
卒業と同時にクラリネットを吹くのを辞めました。
十代とはいえ、
私の人生の半分はクラリネットと共にありましたので、
言葉にはできない挫折と、
置かれていた環境を心底恨みました。
社会人になり、
10年以上のブランクを経て30歳の時にまたクラリネットを吹き始めました。
何度も人生につまずいて、
心が擦り減っていた時、
一度手放した音楽とクラリネットに救われたからです。
心から大切だと思える音楽仲間にも恵まれ、演奏活動の幅が広がるにつれて
クラリネットを専門的に学びたいと思うようになりました。
どうしたら自分が出したいと思う音色が出せるのか?というのが
きっかけだったと思いますが、
私をいう人間を音で表現して、
音楽を通して自分に自信を持ちたかったのだと思います。
40歳の時に、
治療中の病気が悪化して手術が必要となり、
いつ死んでもおかしくないと言われたことで、
一度しかない人生を本気で生きることに決めました。
やり残したこと、
後悔していること、
叶えたかったこと。
そういう諦められなかった思いが溢れ出して、
そして音楽大学への門を叩くこととなりました。
(大学の正門にある桜の木。毎年綺麗に咲いていました)
もう一度生きるチャンスをもらえたのだから、
全身全霊をかけて、自分で自分の人生を変えようと、
会社員を辞め、単身で大学のある大分県に住み、
アルバイトを掛け持ちしながら来る日も来る日も、
受験の為に1日8時間は必ず練習をしました。
右も左もわからない土地で暮らし、
友だちや知り合いがいなくても、
自分の決めた道を生きているという充実感が、
私にとって生きる喜びになっていました。
受かってもいないのに大学の側で生活するなんて、
無茶もいいところと言われましたが、
だめなら沖縄に戻ればいい。
でも、落ちる前提で来たわけじゃない。
自分の中に、ぶれない覚悟が生まれていました。
(合格発表。嬉しかったです。号泣しました)
大学では親子程年齢の離れた同期に囲まれ、共に切磋琢磨し、
44歳で入学した私を分け隔てなく導いてくれた先生方にも本当に感謝しています。
卒業後は、音色づくりを中心とした個人レッスンと演奏活動をしています。
音作りを通して自分自身を探求し、
クラリネットの技術だけではなく、
音楽を通して共に人生の深みを味わうことができればとても幸せなことだと思います。
そして私がこれまで沢山悩んできたことや、乗り越えてきたことを通して、
アドバイスできることがあればお力になれると思います。
私らしく人生Reスタートしています!
▼30分体験レッスン、クラリネットレッスンも行っています!
小学校の思い出
こんにちは。
クラリネットの吉川綾乃です。
クラリネットの吹き始めたのは、
小学校3年生の12月です。
吹奏楽部に入部したのですが、
全然吹けなかったので、
3か月後に迎えた定期演奏会では、
吹き真似で終わりました。笑
県内でも屈指の強豪校でしたので、
練習もほぼ毎日でしたし、
部員の人数も大所帯!!
毎年、吹奏楽コンクールでは代表になって
九州大会に派遣されていたので、
夏休みの宿題は8月末に追い込んでやっていたのを覚えています。。。
(良い子のみんなは真似しないでね💦)
クラリネットを始めた小学校時代から高校卒業までの、
まさに青春時代を吹奏楽に捧げた時間から、
まずはちょっとずつ書いてみようと思います。
そして、クラリネットから離れた10年間、
また一からクラリネットを再開した10年間、
そして思い切って音楽大学を受験しようと一念発起したこと、
音楽大学へ入学して充実した学生生活のこと、
日常生活で感じたことなど、
ブログの中で
不定期ですが、発信しようと思っています。
癒しの空間になりました!
クラリネットを始めたきっかけ
こんにちは。
クラリネットの吉川綾乃です。
こちらの記事を読んでいただき、
ありがとうございます。
クラリネットを始めたきっかけをお話しようと思います。
小学校3年生の時に、
引っ越しで転校したのですが、
転校先の小学校が吹奏楽部の強豪校で、
毎年沖縄県代表で九州大会に参加したり、
全国大会にも出場したり、
親善演奏で海外にも行ったりと、
本当にすごい学校でした。
同級生に入部している子がいて、
何度も誘われていましたけど、
なかなか勇気がなくて断っていました。
とうとう入部のお誘いを断れなくなってしまい、
あれは忘れもしない
小学校3年生の12月に吹奏楽部に入部しました。
本当は打楽器をしたかったんですけど、
「クラリネットが余っている」という理由でクラリネットになりました。笑
最初の一か月くらいは全然音が出なかったです。
うんともすんとも言わない・・・。
マウスピースだけで
音が出せるようになっても、
楽器本体をつけると、
これまた全然ダメで(笑)、
指も届かなかったりと始めた時は苦戦しましたね。
でも、
いくつになってもやっぱり上手になりたい!という気持ちがあるから、
ここまで続けてこれたのだと思います。






